FORM_Story Of Design(... Kato Takashi Weblog)
カンパーナの果敢なデザインスタイルは、デザインという概念におけるヨーロッパ的なものの考え方の、植民地的支配といえるようなものに対する忌避でもあり、それはブラジル的なデザイン概念の確立の為の挑発的行為でもある。
彼らはブラジルという「祝祭の国」において生まれたデザイナーであり、それらの概念に無縁ではありえない。
彼らにとってブラジルという国の置かれた状況と作品との間には寸分違わぬ親和性が見られる。
カンパーナ兄弟のひらめきは、ブラジルという存在そのもののひらめきであり、それは我々日本人のひらめきがその地理的風土に影響される事となんら変わりのないことである。日本人が日本人である以上、日本的文化は我々にとって異文化ではありえず、それは我々の中に存在する必然的なものだ。
"ウィチタフォールズの写真撮影クラス"
カンパーナの革新的な作品背景にはブラジルのハンド・クラフトの高い技術力が存在する。彼らもまた自国の文化と歴史、その革新性に寄与するところは多く、彼らとてその事には自ずと自覚的である。
彼らはブラジルという国が彼らにあって、創造の大いなる源泉である事をつねづね公言してはばからない。
ウンベルトの直感的な深い洞察というインスピレーションと、フェルナンドの職人的な精緻さと厳格な思考と構造的な確かさ、それらが彼らのユニットには不可欠な創造的要素になる。それは家族ならではの深い尊敬と、身近さ、それらが合わさることによって生まれる創造の基軸の揺るぎない根幹、それは創造的な大地にあって有機的な作用を作品に及ぼす重要な要素となる。
FUNHOUSEナイアガラフォールズオンタリオ州
彼らが生まれ育った時代におけるブラジルの歴史は、軍事独裁政治の時代であり、彼らはその中で思春期を迎えている。芸術家の、自国民の創造的自由は失われ一つの暗い時代であったと、彼らは振り返る。しかし、子供達の内面にそれらの外的状況が暗い影ばかりを投影していたかといえば、そうとはばかり言えないのが常である。
どのように私は警官になるには
反体制的な運動は芸術家達によって始まり、それらの思想は奥深い山奥の湿地帯の植物のように、深く彼らの内面に浸透していった。
彼らが通り=ストリートである啓示を受け持ち帰った材料達は、彼らのスタジオの机の上に置かれるとき、深いインスピレーションの泉に中でたゆたう一筋の鉱脈になる。彼らはそれらのなんでもない材料を注意深く吟味し、深く想像し、ある一つの必然的な形状という意味を付与する事に長けている。それは一見して容易い事に伺えるが、それには容易ならざる周知な修練が求められる作業である。
ブラジルという国には、まず太陽があり、大地があり、人間がいて、祝祭的空間が生まれる。
そこには物質的豊かさには還元出来ないファンタスティックな要素が付きまとう。それが我々がブラジルという国に惹かれる理由である気がするのだが、太陽と大地はこの国にあっては、リズムと、芳しいばかりの香りを放つ源泉にもなる。
カンパーナ兄弟が創作するサン・パウロという都市も、東京の街と同じように都市は無軌道に拡大し、そこには同じように豊かな人々が暮らし、商いを営み、路上には子供達がいて、ホームレスが眠り、それらは同じような近しい我々の都市の風景となる・・・
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