4月 2012
JMTとは?なぜそこを歩いたのか?
JMTとはアメリカの長距離遊歩道の一つである。北のヨセミテ国立公園から南のMt.Whitneyまでの約340キロの区間で、全長が繋がったのは1938年である。John Muir Trail通称JMTはPacific Crest Trailと部分的に重なっている所もあるが、特に美しいと言われる北のYosemiteから南のMt.Whitney(アメリカ本土の最高峰、4421m)の山道に付けられた名前である。名前の由来は19世紀から20世紀の初頭に掛けSierra Nevadaに関する多くの著述をし、また自然保護区の設定を説いたJohn Muirの威徳を偲ぶものである。山道は北からYosemite国立公園、Ansel Adams自然保護区、Devil's Postpile 国有記念物、John Muir 自然保護区、Kings Canyon国立公園、Sequoia 国立公園と繋がって居り、保護管理されている。
島国の小国日本から見ると、アメリカは途轍も無く大きい。連続する山道で長いのはロッキー山脈を南北に貫くContinental Divide Trail(大陸分水嶺山道)で、此れは5000キロに及ぶ。更にその西側にはSierra NevadaやCascade 山脈を通るPacific Crest Trail(4250キロ)や東部にはAppalachian National Scenic Trail(3510キロ)等がある。これらの山道を春から秋に掛けて一気に踏破しようとする人は多く居るが、中々達成は難しい。
今夏僕が行ったのはJohn Muir Trail(340キロ、Mt.Whitneyからの下りPortalまでを含めると355キロ余り)であり、これはSierra Nevada山脈(640キロ)の約半分に過ぎない。
何故ここに行くことにしたのか? 2009年の暮れパタゴニアの走り歩きの旅をし、彼の地の花崗岩の山、特に橙色をした針状の山、Mt.Fitz Roy,に痛く感動を覚えた。昨年3月初め訪米の際、Patago― niaに一緒に行ったGlennとTanyaのDinky 夫婦は、アメリカにはそれらを凌ぐ美しい山が有ると言うのだ。彼等は此れを見る為に、夏休みを利用して、十分な装備、食料も持たず、全行程を8日で踏破したという。PatagoniaやAndesのAdventure Tourを主催しているDevyは今年2月に会った時、同じ道を5日半で踏破したと話していた。彼等は優れたランナーである。
Patagoniaの山を凌ぐ花崗岩の山は観てみたい。美しい自然に対する強烈な憧れと好奇心である。又、350キロ以上の山行を完全野宿で踏破することは体力的にも試して置きたい。歳が歳だけに来年では遅すぎる。是非2011年の夏に実施しなければならない。この話を原さんにすると、彼も是非行きたいと言っていたが、昨年の暮れ再度確認すると、体調が良くないので、同行は無理との話であった。その後知り合いに声を掛けると、元々は山屋のランナー薄葉さんが行きたいと言って来た。僕が連続10回目の完走を目指していたが90キロで諦めた1999年の鶴岡を完走した男で、その後僕の生前葬のレースにも来ているので、御存知の方も居られよう。心強い仲間が出来、計画を具体化させることにした。
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山行準備
入山するには許可証が要る。これは24週間前から受け付けており、8月初旬の3日間の日付を入れ、ファクスで当局に申請したが、許可は得られなかった。許可には事前許可と、入山前日申請許可の2つがあるので、麓の事務所で前日の許可をもらう他無い。
Glennに勧められた本や地図を頼りに計画を練る。Spain語でSierraは山、Nevadaは雪を意味する。その発生は1億年前に遡り、主として花崗岩で出来ている。400万年前に地殻変動で隆起し、その後氷河の侵食により現在の姿になったという。この山系には3つの国立公園があるが、JMTを歩くとそれら全部を観ることが出来るのだ。
旅とは何だろうか? 業務上の旅、観光や物見遊山の旅、宗教上の巡礼の旅、目的のない流離の旅、新婚旅行なども旅であろう。これ等の殆どが、先人の作った出来上がった道に沿っての移動である。多くの場合幾つかの交通機関が利用出来、飲食や宿泊も随意出来る所での移動である。移動手段によって、旅を分けることも可能であろう。鉄道、船、自転車、ローラースケート等などの旅である。
これ等に比べ、山行は長距離、長日程であっても旅の範疇からはみ出しているような気がする。多くの場合、これも先人の用意した道を辿るが、交通機関は利用出来ず、宿泊や食事などを供する所は殆どない所での移動である。人里からは遠く離れ、緊急の場合であっても連絡も取れず、救出援助も儘成らない場所での移動だ。今回も一旦山に入ると、外への交信は一切不可能となる。携帯などは使えないのだ。カメラの電源の充電も殆ど出来ない。充電が出来る所もあるが、何時間か其処に留まる必要があり、又充電装置そのものも馬鹿に成らない重さと嵩があるので、市販の乾電池を必要数持って行くのが得策であろう。
更にもう一つの移動がる。道無き道を行く移動だ。これは冒険と言うべきで、又別な範疇であろう。誰も行った事のない偏狭の地で新たな道を探しながら目的地に向かう移動だ。これら全てに共通している点は行きっぱなしでは無く、必ず平常の生活地に戻ることであろう。何か新しい物を求めて異地に行くが、其処は人間生活に取って快適でない事が多く、長くは人が住めない環境なのだ。
僕は気が向いた所があれば、殆ど何も準備せずにふらりと出かけることが多い。先ず現地に行って、その後その場所の事を調べるのだ。此れは余り良い方法ではない事は分かっているが、如何しても何時もそうなってしまうのだ。事前に色々調べておいた方が、効率よく見て歩け、得る物も多いとは思うが、何時もそうなってしまう。牛に似た所があるのかもしれない。先ず取り敢えず、食ってしまう。その後じっくり噛み返し、租借する。根がセッカチなのだ。
ただ今回は流石に行けば何とか成るとは思えない。人の住まない所には1週間以上居たことは無い。15−20キロの荷物を背負っての旅は精精2−3日しかしたことが無い。3週間連続の野宿の旅も初めてだ。自然の怖さは十分に分かっている。事前に多くの事を調べ、必要な準備をしなければ成らない。
大きな地震が起こり、身動きが取れなくなった期間中に地図や先人の書いた案内書を読んで調べる。どの道にもその道の先人が居る。JMTを毎年の様に歩いている日本人も居り、これらの先人から情報を頂く。又 Trail上又はその傍にある施設の管理者とも接触し、Trailの状況も確認した。
起伏の多い山中は、高度が上がるに連れ、色々厄介な現象が起こる場所でもある。水は途中で何とか確保出来たとしても、食料、寝具、衣類全てを背負っての移動となる。道とは言っても集落や町の道とは大きく異なり、川には橋の架かっていない所も多い。こんな所に行くには下調べだけでは十分ではない。それらの文献はあくまでも、本の刊行の直前の状態の記述で、鵜呑みにするわけには行かない。山の地形は雪崩や、崖崩れ等により大きく変わる。ある時まであった、橋が流されている場合もあろう。山に入ったら、事前の準備はさて置いて、現実の状況に何とか対応し、先に進まなければ成らない。
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人間の体力には限度があり、余り重い物を背負っては遠くまで移動することは出来ない。食べ物が無くなれば、他の動物とは異なり、動きが取れなくなる。我々には食料を現地調達しながら、移動する能力は残念ながら無い。車と同じでエネルギーがなければ、移動は不可能だ。どの位の食料を持っていれば、何処まで行けるか。その地点での補給は可能か?不可能であれば如何するか?
食料に関してはもう一つ考慮する点がある。熊対策である。カリフォルニアの州旗の真ん中は大きな熊であることは、何処かで述べてきた。ある調査によると雑食の黒熊は80年代から2007年には倍増し、25000−30000頭に増え、その多くはSierra Nevadaに生息すると言う。熊は人間を襲うことは滅多に無いらしい。只、人間の食べる物は気に入って居るらしく、食べ物は結構狙われるようだ。
この為に山に入る人は熊缶と呼ばれている、特殊な食料入れを持つことが義務付けられている。強化樹脂で出来た筒型の容器で、蓋は特殊なストッパーが付いており、熊は此れを開けることが出来ず、勿論容器を破壊することも出来ない。検査機関の認定を得た数種類の缶が市販されている。2月訪米の際に見てきたが、内容は10リッター強であり、風袋は1キロ強、値段は80−200ドルである。高い物は風袋が約半分であった。0.5キロの違いが大きな差を生む世界なのだ。
此の中にどれだけの食料を詰め込めるか、此れによって、行き着ける距離は予測できる。行く前には実際10Lの容器にどれだけの食料が入るのかも調べなければ成らない。又、予定の距離をこなせない場合も想定する必要がある。食べ物は消化したが、距離が稼げていない場合だ。
日頃余り考えた事も考えなければ成らない。カロリーの問題である。携行食品は前述の体力と容器の制約から、軽量、小容量、高カロリーでなければ成らない。これ等の条件は生食では満たすことは出来ない。乾燥物であってもその平均発熱量は100g当たり400Cal以下が圧倒的に多い。此れより更に高カロリーの物を探すと、ナッツ類がある。ポテトチップ、カリントウ、ミルクチョコレート等がある。油はカロリーは高いが携行には難がある。やや落ちるがマヨネーズは良いような気がする。これらは例外なく高油脂含有食品であり、通常主食の範疇には入らない。ポテトチップは重量比発熱量は高いが嵩が大きい。もって行くとすれば、粉末状にするしかない。粉末にしたらドンナ味に成るのか? こ� �� ��等も出発の前に全部当たって置く必要がある。
主食や主菜に成るような携行食品もあるが、上記3つの条件を満たす物は少ない。多くは冷凍乾燥品で嵩が大きい。探検と冒険の国Norwayには良い携行食品が有ると聞いていた。昨年 Spitsbergenに行った時に見たがこれは冷凍乾燥真空パックした物で、嵩の面でも良いような気がするので、山行前に2度北欧に行った際、買って来た。
山行中の1日の必要カロリーは少なくとも2500カロリーは必要だ。この為には、嵩、重量に対して、カロリーの多いものでなくては成らない。摂取カロリーが消費カロリーを下回る場合、予備燃料の体脂肪を使う事になる。2キロ程度の減量は許容の範囲内だ。
10Lの容器にどれ程の食料が入るのであろうか? 乾燥物であるので重量のわりには嵩は大きい。100グラム当たり平均500カロリーの食品を選ぶことが可能であれば、日に500グラムの食料が必要で、密度を0.5とするとその容量は1Lとなり、10Lの熊缶には10日分の食料が入ることになり、中間地点まで行けることになる。其処から先は熊箱と呼ばれる熊が取ること出来ない食料保管箱が彼方此方のキャンプ場に設置されており、缶に入り切れない食べ物はここに入れて置けば安心して寝ることが出来る。幾分大目の食料を補給し、2−3日はこのような所を捜して泊まる必要もあろう。何しろ、熊に食料を取られれば、その時点で山行は出来なくなり、横道を辿り、人里に出なければならない事態となるのだ。
我が家にある全ての計量機器を総動員し、その他に牛乳パックを使って実験をして見る。ナッツ類、チョコレート、袋入りのインスタント物を除き、踏み潰したり、ミキサーに掛けて減容を図る。ある程度まで細かく砕くと、嵩は減るが、それ以上細かくしても減らず、逆に増え出すことも分かった。又ポテトチップ、カリントウ等はミキサーに掛けると油が分離してしまう。それに食味、食感の問題も考慮し、結局ラーメン、ポテトチップ、カリントウは踏み潰しただけか、更に擂鉢に押し付けて適当な粒状になる様にした。
人身売買は、離れて人権を取る方法
候補に上げた食料は勿論日常食では無く、カロリー、重量、嵩の条件を満たしても、山行中毎日食ってちゃんと出て行くことを確認しておく必要がある。持って行っても2日目から喰えなく成ったり、糞詰まりや下痢を起したら山行の継続は不可能になる。そこで、野菜、果物、肉、魚類は家内が作った物、主食としては前に挙げたものを1週間ほど喰ってみた。実際の山中食とは程遠い物であるが、実験は有効であったと思う。
ナッツ類は胡桃、アーモンド、ペーカンナッツ、ピーナッツ、ヒマワリ、ゴマの等量混合物(粒の大小を混ぜる事により空隙を少なく出来る)、ポテトチップ、カリン糖、インスタントラーメンは減容の為砕いた物を食べたが、何とか喰えるし、出るほうも支障がないことが確認できた。この他に必要なのは、ビタミン剤、電解質、若干の塩である。熊缶の嵩にゆとりがあれば、動物性蛋白を含むインスタント食品、高カロリースナック、サラミソーセージ、乾し肉、チーズ等も持って行きたい。嗜好品であるコーヒーやお茶は最初から諦める。
ポテトチップ、ラーメン等は米粒程に砕いて重量と嵩を測って見ると、何とか上記の組み合わせでカロリーの確保は出来そうなことが分かった。家内は何も言わなかったが、正気の沙汰ではないと思って居たに違いない。僕は戦前生まれで、食べ物は大抵のものであれば、あれこれ言わずに喰える恵まれた人間の一人である。ある目的の為には日常の快適性はいとも簡単に捨てさる事が出来る。一ヶ月以内であれば、この程度の偏食をしても、健康に実害はないと考えている。減容と現地でゴミを出さない為に、個装した食品の殆どは取り除き、種類ごとにやや大き目の袋に入れ熊缶の中で馴染みが良く空間を少なくするようにした。ラーメンのスープ等も例外とはしなかった。
何かをしようと思えば食は斯くも重大な関心ごとなのだ。僕にはカロリー零の食品の存在理由が全く理解出来ず、罰が当たった話しであると思える。食は生きる為に食うのであり、享楽のための物では無い。人間を除き痩せる為に食ったり呑んだりする動物は居ない様に思う。如何に人間が知に溺れ、狂った存在かを知るべきでは無いか?
山行中、途中で補給が可能な地点が何箇所かあるが、中々丁度しない。行程の五日位までは寄り道をすれば、調達可能な所はある。出発時に持って出た食べ物の減り方を見て、補給することも考える。当然寄り道は短い方が良い。後に行く程、補給可能地点は減り、寄り道の距離も大きくなる。幸いな事に丁度中ほどにMuir Trail Ranchと言う観光施設があり、其処で食料の中継をしてくれることが分かった。郵便局を通してそこ宛てに送ると、麓の局からそこまで運んで来て、依頼主が到着するまで預かって呉れる。当然有料で、11キロまでが60ドル、其れより重い物は割り増し料金となる。背に腹は代えられないので、ここを補給所とすることに決める。物はアメリカ到着後、現地調達食料も含め、登り出す麓の局から送ることにする。僕の体力を考え、途中一切寄り道をせず、兎に角JMTの踏破を第一目標とし、補給はこの中間点の一ヶ所と決める。
大きなグループのユトリのある山行であれば、あちこちでDonnage Packと呼ばれる馬を使った補給が可能だ。此れは75キロまで、馬方1人馬1頭で1日3百jほどだと聞く。
食料に関しては各々の好みがあるので、各自で用意することに決め、其の為薄葉さんは上京してアルファー化米を中心に独自のメニューを用意した。
僕にとっては此れだけ長期の山行は生まれて初めてである。色々な情報を参考に行程表を二つ作った。便や途中の交通手段の制約を加味し17−18日で踏破完了の案とした。どちらも2〜3日のゆとりを持った案である。天候や怪我、雪や川の増水で、遅れがでることも有りうる。非力な僕の体力では何が起こるかわからない。余裕は必要なのだ。
自分で書いたシナリオを演じ切れる自信は無いのだ。役者の様に本番の前に練習は出来ない。いきなり本番なのだ。でも、何かの指針が無ければ、目的を完遂は出来ない。
薄葉さんも彼なりに研究したが、考えて居てもしょうがなく、兎に角遣ってみようという。一応の行程を目安に後は現場調整と言う事で話が落ち着く。
専門家である彼には装備の検討を御願いした。テント、加熱器等は皆彼の物を使う事にし、又僕のザックも彼の物を使う事にした。全体の軽量化の為、僕はカメラを持たず、写真は全て彼に御願いした。彼のカメラは使い捨ての電池式、で充電式と比べ、全体的に軽くなるのだ。
アメリカへ
8月2日薄葉さんとNaritaのホテルに泊まる。夏場は航空運賃の高い時期であり、安い物を探すと Asiana航空の仁川廻りであり、成田発は早いので空港泊まりが必要であった。
3日、Asiana航空は初めてであったが、仁川まではBusiness Classに載せて呉れた。 AsianaのLoungeは良いが機内サーヴィスはやや劣る。San Franciscoに昼頃着き、市内のYouth Hostelに荷物を置き、買い物に出かける。熊缶を探したが目当ての品が無かったので、登り口のYosemiteで買うことにし、僅かな時間ではあったが、市の中心部を見て回った。
翌日4日、BARTでRichmondまで行きAMTAKに乗り換える。途中までは順調に行ったが、 Stocktonの先で山火事に会い、長い間列車が止まる。駅で止まったが、線路の脇にはBlack― berryが沢山成って居り、まだやや早いが、熟れた物もあり、乗客や通りかかった人が摘んでいた。このBerryは至るは所に沢山出来る。遅れに対して、水とスナックが供された。
長い間待った後、列車が動き出す。暫く行くと、線路の両側が黒くなっており、燃え燻ぶって居る所もある。風は追い風で、火は線路に沿い進行方向に燃え広がって行ったのだ。まだ消火活動が続けられている所もある。乾いた農作物や、線路際の枯れ草が焼けており、家屋、車なども焼けていた。何キロも燃え広がっていたが、人家への被害が少なかったのは何よりだ。
目的地のMercedの駅には4.5時間遅れて着いた。乗り継ぎのバスには間に合わないので、ホテルを用意すると言われたが、行程上ゆとりが無いので、自前でタクシーでYosemiteまで行く事にし、タクシーを頼んで貰う。入山前の大きなハップニングだ。
260ドル程余分に掛かったが、この選択は賢明であったと思える。タクシーの運転士は子連れで5歳の男の子が助手席に乗っていた。目的地に着いたのは日も変わる時間である。父子家庭なのであろうか?余計な詮索はしなかった。
Yosemite Villageに着き明かりの点いている店の前で止まると、直ぐに警察の車が来た。この時間Camp地も宿も無い、お前ら如何するのだと言う。こちらの事情の話すと、車に乗れと言う。乗って程なく、車は止まり、彼氏曰く"此処が許可書を出す事務所だ。お前ら並んで待って居る内に寝てしまった事にしろ。"中々話しの分かる年配の警官であった。アメリカでは許可された所以外での野宿は禁止で、逮捕される場合がある。
この処置のお陰で、我々は先頭に並び、翌日4人にしか出ない入山許可書を手にする事が出来たのだ。災い転じて福とはこのことなりや?
事務所入り口横のベランダにマットを敷き寝袋に納まる。直ぐにもう一人男が来た。其の男は椅子に腰掛けて待っていた。明るくなる頃には10人余りの列が出来ていた。
起きて周りを歩いてみる。許可書を出すYosemite Wilderness Officeは木造平屋建てで大きなものではない。廻りは針葉樹や落葉樹の巨木が取り囲んでおり、リスが走り回っている。天気は快晴、朝の空気は旨い。巨木の間からは陽を受けて白色にみえる花崗岩の急峻な岩肌が見える。又遠くには高い所から落ちる白い流れも見える。ヨセミテ滝である。此れだけを見ても来た甲斐があったと思うほどだ。日本にはない大きな景色なのだ。
8時半に森林官が来て、今日の許可証は4人分と発表があった。やれやれである。その後、建物の前で、入山前の注意事項、キャンプ地、焚き火、排泄物の処理法、洗濯の仕方、熊の習性等の説明があった。 628
実際に許可書が出たのは11時ごろであった。其の後、燃料や熊缶、釣りの許可書を買に行く。そこそこの規模の店であったが、使えそうな熊缶は一つしかない。しかも、サンフランシスコで敬遠して買わなかったタイプの物だ。2つ必要だと言うとCurry Villageにある店に行ったらという。バスに乗ってその店に行ったら、あるにはあったがこれも同じ気に入らないタイプの物であった。
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