光風庵の独酌酔話 : 2012年01月
その後、古文書に見られる過去の地震と津波に関する記事の洗い出しと解析、活断層の現地調査と再評価、地震発生の予測手法の見直しなどが行われて、次々と新しい知見が発表されている。
そのひとつに、過去に東海から西の太平洋沿岸の「南海トラフ」で起きた巨大地震と大津波、いわゆる「東海・南海・東南海三連動地震」は、約90年から 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生していることが分かっており、今後も同じような発生パターンをとると推測されていて、対象地域の自治体では地震や津波などの防災計画を立ててきた。しかし、このたびの東日本大震災をうけて政府専門者会議でこの3連動地震の想定モデルが見直されて、従来想定よりもより広範囲な地域で発生すると報告された。
(1)南海トラフの巨大地震、震源想定域を2倍に拡大しM9に設定 内閣府の有識者検討会
東海、東南海、南海地震など、東海から西の太平洋沿岸で起きる巨大地震の想定を見直しを進めている内閣府の有識者で構成される「南海トラフの巨大地震モデル検討会」会議は昨年12月27日、駿河湾から四国・九州沖の海底に延びる南海トラフ沿いで想定される最大規模の地震の想定の震源域を従来の約2倍に拡大することなどを盛り込んだ中間報告をまとめた。地震規模を示すマグニチュード(M)は暫定的にマグニチュード(M)9.0と設定した。
検討会は、今年の春までに揺れの強さや津波の高さの新たな想定を公表したうえで、夏から秋ごろにかけて被害想定をまとめる予定で、新しい想定が正式に示されると対象地域の自治体では地震や津波などの防災計画の大幅な見直しを迫られる。
検討会は、東海から西の太平洋沿岸の「南海トラフ」と呼ばれる海底付近で想定される最大級の巨大地震や津波について、東海地震と東南海・南海地震が同時に発生した場合の震源域は、最新の研究成果などから、山梨県南部から九州の東海岸にかけての東西およそ750キロの範囲に想定し、従来の国の想定より陸側に大きく広がっている。暫定的に計算した震源域の面積は従来の約2倍のおよそ11万平方キロ、マグニチュードは3月の巨大地震に匹敵する9.0となり、これま� ��の想定の8.7に比べてエネルギーの大きさは3倍近くになっている。
また、地震に伴って津波を引き起こす海底の領域「波源域」は、3月の巨大地震の際、沖合の「日本海溝」付近で津波が巨大化していたという研究成果を受けて、同じように沖合の「南海トラフ」付近まで、広がる可能性があるとしている。
東海・東南海・南海で予想される3連動地震の従来の想定では、3地震が連動した場合の震源域は駿河湾から四国沖の約6万平方km。プレート境界の深さ10~30kmの領域。地震の規模はM8.7であった。新たに見直した想定震源域は左図の実線範囲内となる。
北側では、プレート境界の深さ30kmよりも深い部分でも通常の地震とは異なる低周波の地震が発生しており、この領域まで想定震源域を拡大した。
西側は、四国沖から宮崎県沖(日向灘)で起こるM7.5前後の地震も連動する可能性を考慮し、日向灘北部から九州・パラオ海嶺周辺まで南西方向へ拡大することにした。
東側も、駿河湾のプレート境界から内陸部につながる富士川河口断層帯(静岡県)の北端までとした。
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阿部勝征東京大学名誉教授(検討会・座長)の話
東日本大震災と同じ規模のマグニチュードとなったが、東海や西日本は東北より人口が多く、被害の様相は変わってくると思う。具体的な被害想定は計算してみないと分からないが、震源域や波源域が広がったことで、揺れの強さや津波の高さは大きくなり、被害を受ける範囲も広がるだろう。日本は地震と津波を避けることができない。地震や津波の実態を正しく知り、ふだんから対策を講じることが大事だ。それぞれの地域では、これまでもある程度の防災対策がとられていると思うが、影響が考えられる地域では、対策を強化しておくことが必要だ。
東京大学総合防災情報研究センター・古村孝志教授検(討会・委員)の話
これまで考えられていた震源域からより遠く、より深い場所でも地震が起こりうることが分かった。地震の揺れや津波が大きくなり、遠くまで達するおそれがあるので、ハード面の対策だけでなく、素早く避難するための対策が必要だ」と指摘しています。そのうえで、「科学者や専門家の知識を総動員し、最大級の地震に備える必要がある。
高知大学大学院・岡村眞教授(討会・委員)の話
今回の中間報告は、東日本大震災で、およそ1100年前の貞観地震の津波の痕跡を対策に生かしきれなかった反省に立ち、過去の歴史から見ても最大規模の地震を想定したものとなった。震源域が広がると、四国を含む西日本の広い範囲で、これまでの想定以上の揺れや津波の被害が発生することになる。特に四国は、ほとんどが震源域に入るため、揺れに対して丈夫な建物を作り、津波に対しては、とにかく避難するための対策を強力に進めていく必要がある。(情報元:msn産経ニュース、読売新聞電子版、日本経済新聞電子版、asahi.com、NHKニュース電子版)
(2)東海・東南海・南海地震の三連動地震の揺れ・沈下・津波をスパコン「京」で同時計算
巨大地震の発生に伴う揺れと地盤沈下、津波をスーパーコンピューターで同時分析できるシステムの開発に、東京大学の研究チームが成功した。
東日本大震災で起きた状況をほぼ再現できており、次世代スパコン「京(けい)」で実用化を図る。複合災害の精緻な被害予測に利用できる成果で、研究チームは東海・東南海・南海地震が同時発生する三連動地震の事前分析を計画している。
東大総合防災情報研究センターの前田拓人特任助教らは、新システムを既存のスパコンに実装し、これまで別々に行っていた揺れや津波の広がり、地殻変動を再現する計算を同時に実施した。
東日本大震災の状況をスパコン上で表現したところ、地震発生直後から10分後までに地震波が全国に伝わり、関東平野や仙台平野が沈降した。30分後以降からは大津波が沿岸を襲った。入力データ量は少ないが、分析結果はいずれも観測値に近く、システムの実用性が確認できた。(2012年1月30日 読売新聞)
(3)日向灘でM4・8、大分・宮崎で震度4の地震
このような報告がなされたなか、本日1月30日午前3時18分ごろ、大分県と宮崎県で震度4の揺れを観測する地震があった。震源地は日向灘でM4・8、大分・宮崎で震度4、ほか九州全域と中国四国地方でも震度1から2の弱震が観測された。(平成24年01月30日03時21分 気象庁発表)
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(4)関連記事
①東海・南海・東南海三連動地震とは
東海・南海・東南海連動型地震は、東海地震、南海地震、東南海地震の3つの地震が同時発生した場合を想定した巨大地震のこと。地質調査や文献資料から、東海地震、南海地震、東南海地震はそれぞれは約90年から 150年(中世以前の発生記録では200年以上)の間隔で発生していることが分かっており、今後も同じような発生パターンをとると推測されている。いずれもマグニチュードが8に達するような巨大地震で、揺れや津波により甚大な被害を出してきた地震である。
これらの3地震はいずれも、フィリピン海プレートがユーラシアプレートに衝突してその下に沈み込んでいる南海トラフで発生する海溝型地震で、プレート境界域付近に震源域が並び、連動する可能性がある。
江戸時代には南海トラフ沿いを震源とする巨大地震として、文献に残る江戸時代以降、三連動地震は少なくとも2回(1605年の慶長地震 M7.9 - 8.0と1707年の宝永地震M8.6 )発生し、1854年の安政東海地震(東海・東南海地震M8.4の32時間後に南海地震M8.4が起きた)も三連動とする見方もある。
東海・東南海・南海地震の3つの地震が一挙に起きた場合、また安政地震のように短い間隔で起きた場合は、波の高さが重なり合って九州太平洋沿岸で最大で8m級に、土佐湾西部と東海沿岸のいくつかの狭い範囲で10m近い高さに達するなど太平洋ベルト全域に地震動による被害が及び、さらに、瀬戸内海まで津波が入り込む恐れもあると見られており、早急に地方自治体は連動型地震を視野に入れた防災対策を講じる必要があるとされている。(情報元:2010年9月1日 読売新聞、ウィキペディ゙ア、図はBIGLOBE)
②東南海地震の断層特定…大規模地震過去に5回
海洋研究開発機構などの研究チームが、1944年の東南海地震を引き起こした熊野灘沖の断層を、地球深部探査船「ちきゅう」が採取した試料の分析で特定した。これまでの地震波観測などで明らかになってきた断層の存在を物的な証拠で示す成果で、1日発行の米地質学会誌に掲載された。熊野灘沖の海底では、プレート(岩板)境界から、幾つもの分岐断層が延びており、1944年の地震は、この一つが破壊されて起きたとみられる。研究チームは、南海トラフ(海溝)に近い震源域を調査。和歌山県新宮市の南東約90キロ沖で、分岐断層を深さ3キロの海底まで掘削した。得た試料を解析したところ、断層破壊に伴う強い揺れで破砕された泥の層が複数見つかった。中に含まれる放射性物質で年代測定を行った結果、1944年の発生とほぼ一致するものがあった。また3500年前、1万600年前頃など、ほかに少なくとも4回、大きな地震が起きていることがわかった。(2011年10月3日 読売新聞)
③東海3連動地震、名古屋中心部も浸水 名大准教授ら調査
東海・東南海・南海の3連動地震が起き、堤防が決壊した場合、津波や河川の氾濫(はんらん)で名古屋市の中心部に至る広い地域で浸水被害が出る可能性があることが、名古屋大大学院工学研究科の川崎浩司准教授(海岸工学)らの研究で分かった。運転停止中の浜岡原子力発電所(静岡県御前崎市)の周辺では、満潮時に高さ約6メートルの津波が到達して手前の砂丘を乗り越え、東日本大震災を受けて新設予定の高さ15メートル以上の防潮堤(防波壁)を越えて遡上(そじょう)する可能性も指摘した。陸上を遡上した津波が海面からどの高さまで到達したかを示す「遡上高(だか)」は、津波の高さの2~4倍に達すると考えられている。中部電力は津波対策として防潮堤のほか、非常用電源の高台設置を決めている。(2011年6月1 5日 asahi.com)
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④東海・東南海・南海3連動級の巨大地震「400~600年おき」 産総研など、海岸の化石調査し判明
産業技術総合研究所と広島大学などの研究グループは、東海、東南海、南海の3地震が連動して起きた宝永地震(1707年)の400~600年前にも、太平洋沖の南海トラフ沿いで巨大な津波をもたらす同規模の地震が起きていた可能性があることを突き止めた。千葉市で開催中の日本地球惑星科学連合大会で25日までに発表した。海岸にある岩に付着した生物化石を調査して明らかにした。
江戸時代以前の地震の記録は限られており、広い範囲で生物化石の調査を進めていけば、政府の地震調査委員会による地震の長期予測に活用できる可能性もある。和歌山県串本町の海岸に散らばっている、巨大な津波でなければ押し流されることのない大きさの岩を調べた。通常は下面に付着するカキやヤッコカンザシなどの化石が岩の上面で見つかった。津波が押し寄せて岩がひっくり返り、岩の下面が上を向き、付着していたカキなどが化石化したと分析した。
化石の年代測定をしたところ、1120~1340年ころと1650年以降に集中していた。1650年以降と測定された化石は、伊豆から九州にわたる広い範囲で大きな被害をもたらした宝永地震の津波でできたとみている。産総研などは、化石の分析結果から「南海トラフ沿いでは400~600年の間隔で(宝永クラスの)巨大地震が起きている」としている。南海トラフは駿河湾から四国南方にかけての海底にある水深4千メートル級の深い溝(トラフ)。
紀伊半島や四国など西日本が乗るユーラシアプレートと、南から押し寄せるフィリピン海プレートとの境界線にあたる。南海トラフの北寄りの領域では2つのプレートが押し合うため、大規模な地震が繰り返し発生してきた。東海、東南海、南海の3地震の震源域としても想定されている(。情報元:201年5月26日 nikkei.web)
⑤南海・南海震源域にまたがる巨大断層見つかる。過去の大津波の原因?和歌山・潮岬沖に200kmの巨大な断層活断層 動けばM8級も
東京大学大気海洋研究所と海洋研究開発機構の研究チームは27日、東海、東南海、南海地震などの巨大地震を起こし大きな津波を発生させたと見られる長さが東西約200kmの大規模な海底活断層が、紀伊半島沖合の南海トラフに存在していることを発見した、と発表した。一度に動けばマグニチュード(M)8級の地震を起こすとみられる。二つの震源域にかかる巨大断層の発見は初めて。1707年の宝永地震などの連動型地震で、この断層が大きく動き、津波の発生源となった可能性があるという。駿河湾から四国・九州沖に延びる南海トラフ沿いには、紀伊半島・潮岬の東側に東南海地震、西側に南海地震の震源域がある。
研究チームが海底の地形や地下構造を分析した結果、潮岬を挟んで東西200キロ以上にわたり、海底が数百メートル以上も隆起し、プレート(岩板)境界から枝分かれした巨大断層があることが分かった。断層の活動によりつくられた高さ数百メートルの崖も確認。調査・分析した朴進午(パク・ジンオ)東京大准教授(海洋地質・地球物理学)は「東南海地震と南海地震が過去に連動して起きていた証拠であり、断層のずれが大津波を発生させてきた可能性が高い。分岐断層が同時に活動すると大きな津波が発生する可能性がある。今後、地震や津波の計算の中に分岐断層の影響を取り入れ、防災対策に生かして再構築する必要があるべきだ」と話している。この海底活断層の東側部分は、1944年の東南海地震(M7.9)でも動 いて津波を起こしたと考えられている。新たに見つかった西側の延長部分は46年の南海地震(M8.0)の震源域と重なっているため、朴准教授は西側が2年遅れて活動した可能性があるとしている。(2012年1月27日 読売新聞、日本経済新聞 2012年1月28日asahi.com 、1月29日NHKニュース)
⑥紀伊半島、400~600年ごとに大津波が襲来
紀伊半島南部に400~600年程度の間隔で大津波が襲来したとみられる痕跡を、産業技術総合研究所などが、和歌山県串本町の国指定名勝「橋杭岩(はしぐいいわ)」周囲の巨岩で確認した。東海・東南海・南海連動巨大地震の津波の可能性がある。前回から300年以上が経過し、次の大津波への警戒が求められる。
橋杭岩は潮岬近くの海岸にあり、約40の岩柱が一列に並んでそそり立つ。その周辺に、橋杭岩から崩れたとみられる巨岩(重さ数十トン以上、直径2~3メートル)が多数、散らばっている。宍倉正展・海溝型地震履歴研究チーム長らの調査で、散在する巨岩には、カキやフジツボなどの生物の化石が、海水につかる下部ではなく、上部に付着していることがわかった。
十数個の化石年代を測定すると〈1〉1700年前後と〈2〉1120~1340年頃の二つの時期に集中。この時に起きた津波で岩が転がり、下部にくっついていた生物が水から離れて化石化したと考えた。巨岩が動くには、秒速4メートル以上の速い流れが必要と計算され、東海・東南海・南海連動型の宝永地震(1707年)を想定して計算した流速と一致した。台風の高波や南海地震の単独発生では、これほどの流速にはならなかった。研究チームは、〈1〉は宝永地震に当たり、〈2〉は、その約400~600年前に起きた巨大地震とみる。(2011年5月23日 読売新聞)
⑦4世紀に東南海・南海地震連動…伊勢神宮史料
14世紀に起きた大地震「正平(しょうへい)南海地震」が、東南海地震と連動していたことを裏付ける記述を、三重県地震対策室の奥野真行さん(39)が、三重県・伊勢神宮の史料から発見した。伊勢神宮の外宮(げくう)正殿で柱が倒れたと被害の状況が記されており、震度6弱以上の揺れが起きたと推定される。同神宮は東南海地震の想定震源域内にあることから、これまではっきりしていなかった「連動」の根拠として注目されそうだ。研究成果は、22日から千葉市で始まる日本地球惑星科学連合大会で発表する。奥野さんは、伊勢神宮関連の記録文書「神宮文書」で、1361年(正平16年)8月3日付の書状に、「依去六月地震、心御柱(しんのみはしら)傾倚、御束柱(つかばしら)顛倒」とあるのを見つけた。6月の地震で 外宮正殿の建物の中心に置かれた「心御柱」という柱が傾き、高床式の床下の柱である「束柱」が倒れたという記述だ。この規模の被害が出るのは、東南海地震が起きたか、南海地震との連動地震が起きたかの場合と考えられる。正平16年6月24日に正平南海地震が発生したことは知られているが、東南海地震が連動したかどうかは史料が乏しかった。(2011年5月22日 読売新聞)
⑧南海トラフ、津波堆積物の調査で大津波18回超か…2400年間
東南海地震などの震源域がある南海トラフ沿いでは、大きな津波を伴う地震が2400年間に少なくとも18回起き、約100~200年の異なる周期で発生している可能性があることが、大阪市立大学や産業技術総合研究所による津波堆積物の調査でわかった。同大などは三重県尾鷲市の海岸沿いにある大池(標高約5メートル)で、底に堆積した地層を採取。安政東海地震(1854年)、昭和東南海地震(1944年)時の地層は採取時に流出して判別できなかったが、紀元前4世紀~紀元後18世紀に津波でできたとみられる堆積物が16層見つかった。このうち7層は、歴史記録が残る白鳳地震(684年)以降の地震と年代が一致。別の6層も、遺跡に残る液状化の痕跡から「未知の巨大地震」が指摘されている年代 と合うという。(2011年10月3日14時24分 読売新聞)
⑨海抜36メートル超まで津波到達か 室町時代の明応東海地震
室町時代の1498年に発生した大地震「明応東海地震」で、古文書の記録や伝承から、静岡県沼津市で津波が斜面を駆け上り海抜36メートルを超える地点まで達していた可能性があることが16日までに、東京大学地震研究所などの調査で分かった。東日本大震災では、岩手県宮古市の斜面を39.7メートルまで津波がさかのぼったとする調査報告がある。
静岡県は東海地震の津波被害の想定として1854年の安政東海地震を目安としているが、東大地震研の都司嘉宣准教授は「明応東海地震の津波の高さは安政東海地震の3~4倍あり、防災指針を見直すべきだ」としている。国の地震調査研究推進本部によると、明応東海地震は東海沖から四国沖の海底にある溝状の地形「南海トラフ」沿いに起きた大地震。マグニチュード(M)は8.3程度で、津波が紀伊半島から房総半島まで達したとされている。
都司准教授によると、寺院が記録した古文書などにより浸水場所を調査し、現地で測量。明応東海地震では、沼津市戸田の集落の「平目平」と呼ばれる地点まで津波が到達したとの伝承があり、海抜を測定すると36.4メートルだった。平目平という地名も、当時の津波でそこまでヒラメが打ち上げられたという言い伝えに由来するという。また中部電力浜岡原子力発電所(御前崎市)から30~40キロの磐田市掛塚でも海抜10メートルの場所まで浸水した可能性があった。都司准教授は「今後、津波によって運ばれてきた海の砂の層がないか調べたい」としている。(2011年9月16日 nikkei web)
⑩津波が鎌倉大仏まで至った「明応地震」検証へ
相模湾沿岸部などの津波対策の見直しを検討している神奈川県の「津波浸水想定検討部会」が2日、横浜市内で開かれ、全体像が十分に解明されていない歴史的な地震についても検証し、被害想定を見直すとした中間とりまとめを了承した。11月をめどに、新たな被害想定を作成する。
新たに検証する地震は、津波が鎌倉大仏まで至ったとの文献が残る明応地震(1498年)と、揺れは小さいが大きな津波が押し寄せる「津波地震」に分類される慶長地震(1605年)。史料の分析や津波による堆積物を調べる地質調査などを行い、これをもとに被害を想定する。
これまで県が浸水予測図を作成・公表している9地震についても、近年示された新たな地震モデルを利用したり、複数地震の連動モデルの組み合わせを変え、再計算する。
相模湾沿岸の12市町は県の予測図を基に、最大6~7メートルの津波を想定して避難対策を講じているが、県がこの日示した明応地震についての試算では、鎌倉市で最大10メートルを超えた。同部会の柴山知也部会長(早大教授)は「想定以上の被害が出た東日本大震災を受け、あまり確かでない地震についても想定する必要がある。結果を避難計画作りに役立てていきたい」と話している。
⑪その他古文書にみる東海・南海地震
684年 白鳳地震:
11月29日に M8.0 - 8.3 の南海地震が発生。同時期に東海地震と東南海地震が発生したと推定されている。山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数。津波の襲来後、土佐で船が多数沈没、田畑約12平方キロメートルが沈下し海となったと記録されている。
887年 仁和地震:
8月26日に M8.0 - 8.3 の南海地震が発生。同時期に東海地震と東南海地震が発生したと地質調査により推定されている。京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった。
950 - 1000年ごろ
東海、東南海、南海地震のいずれかまたは複数が発生したと推定されている。
1096年 - 1099年 永長・康和地震:
1096年1月24日に M8.0 - 8.5 の東海地震が発生。東南海地震の発生は不明。皇居の大極殿に被害があり東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失。3年後の同日に M8.0 - 8.5 の南海地震が発生。
1200年ごろ
東海、東南海、南海地震のいずれかまたは複数が発生したと推定されている。
1361年 正平(康安)地震:
8月3日に M8.0 - 8.
1498年9月11日 明応地震(東海・東南海地震):
M8.2 - 8.4。伊勢や駿河など広い地域に津波、死者3 - 4万人。その2ヶ月前の6月30日に九州から東海にかけて地震被害の記録があるが、地質調査により南海地震ではないかと推定されている。
1605年2月3日 慶長地震:
東海・東南海地震と南海地震が同時に発生したとみられる M7.9 - 8.0 の地震。他の連動型地震と違い、津波地震であったと推定されている。地震動による被害は少なかったが太平洋岸で津波発生、死者1 - 2万人。
1707年10月28日 宝永地震:
東海・東南海地震と南海地震が同時に発生した M8.6 の地震。この地震の49日後に富士山が噴火し宝永山(火口)ができる(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余。土佐を中心に大津波が襲った。
1854年12月23日 安政地震:
安政東海地震(東南海地震含む)が発生し、32時間後に安政南海地震が発生した。ともにM8.4。死者は合計で5,000人以上、余震が9年間続く。
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