映画 - 菜花亭日乗
バンバン・パチパチのアメリカ映画はもう良いので、フランス映画を見ることにした。
フランス映画を公開する映画館は多くないので、フランス映画を見る機会は少ないのだ。DVDで旧作を見ることは出来るのだが。
名演小劇場で「PARIS」が公開されている。
今日はクリスマス。みんなイルミネーションの街に出掛けたかと思って映画館に着くと、若い女性が意外に多い、しかも一人である。"クリスマスの夜に一人で映画か、..."
考えてみると、今日は木曜日、女性の日で、入場料が800円安い1000円になる日らしい。"どうして、女性ばかり?..."
"それで、よいのだ"
ムーラン・ルージュのダンサー、ピエールは、ある日突然、医師から心臓が悪いと宣告され、しかも、余命わずかと言われてしまう。どうして自分だけが病気にならねばならないのかと問うても理由はない。それが、運命というもの。人の未来は、何でもありなのである。理由無く不治の病に冒される未来だって、残酷だが、我々全てに用意されている。
生きる為には心臓移植しか方法は無いと宣告されるが、成功の確率は40%しかないとピエールは思っている。
アパルトマンのベランダから外を見ると、そこにはパリの街の風景がある。通りの前のアパルトマンの窓から見える美しい女子学生も自分の人生を生きている。
看病の為に同居してくれることになった姉は、毎日どうして生活しているのと聞くと、ピエールは、「パリの街に暮らす人を見て、その人生をあれこれ想像して暮らしている」と答える。
カメラは、パリに住む人たちのそれぞれの日々を追い始める。
姉は、二人の子供がいるがシングルマザー。社会保険の窓口でソーシャルワーカー業務を担当している。
毎日の日々に追われている彼女は、恋をするにはもう年だと思っている。
そのような姉に「生きているんだ。人生を謳歌しなければ」とピエールは言う。
ソルボンヌ大学の歴史学者ロランは、どうでもいいような瑣末な歴史を探究することに飽きてしまい、鬱々とした日々を過ごしていた。
ある日、彼の講義を受ける学生の中に、一際彼の目に美しく映えた女子学生がいた。講義が終わり、男友達との会話を何気なく聞いてしまい、彼女の電話番号を聞いてしまう。
年甲斐もなく恋をしてしまった彼は、「君は美しい...」と匿名のメールを送る。その瞬間から、彼は、ストーカーに変身する。
そんな日が続いたある日、いつものようにメールを書いていると、目の前に彼女が立っていた。
謝り言い訳の言葉を繰り返す教授に彼女は罵詈雑言を浴びせる。しばらくして、教授は「それで気が済んだか」と言う。
彼女は、「まだよ」と言う。それから...(映画を見る人のためにここから先は書かない。)
姉が買い物に行く市場の八百屋、パン屋の人間模様、 教授の弟の建築家の日常生活、アフリカからの不法労働者パリの生活と郷里カメルーンにいる弟が花の都パリを目指して密入国を企てる話。
パリの街の同時代を生きる人たちの生活をカメラは追っていく。
倦怠な変わり映えのない毎日の中で、恋したり、罵り合ったりお互いの接点があるようなないような異なる人生を歩む様々なパリジャン・パリジェンヌたちの姿が描かれる。
死を免れるためには移植手術を受けるしかないピエールに、その日がやってくる。
ピエールは、見送る姉に「さよなら」は言わないといってアパルトマンのドアを開けて外に出て行く。
タクシーに乗り、折からデモ隊に巻き込まれ遠回りすることになったタクシーの窓からピエールはパリの街を見ている。
そして、ピエールは一人つぶやく、「これがパリ。誰もが不満だらけで、文句を言うのが好き。皆、幸運に気付いていない。歩いて、恋して、口論して、遅刻して、何という幸せ。気軽にパリで生きられるなんて。」
かれは、タクシーの後ろ座席に仰向けに横たわり、窓から見えるパリの空に目をやる。
パリの空は青く輝いている。ピエールはにっこりと微笑む。
【感想】
仝終わった後の気持ちが清清しいいい映画だった。
イタリア人は、恋して、食べて、歌ってと言われるが、この映画のパリの人たちも同じである。
仕事、地位、お金も大切だが、自分の人生も大事である。普通であることも大事だが普通でないことも必要なのだ。
パリに生きる人にとって恋とは仕事のようなもの。
セドリック・クラピッシュ監督の脚本は意表に出る。
最初のうちは少しかったるいが、途中から俄然面白くなる。
毎日がつまらないと倦怠感のある人には勧められる映画だ。
▲僖蠅侶価劇
パリの同時代を生きる人々の群像を描くことによってPARISを描くと言う手法は、この映画が初めてではない。
昔TVの放送で見た「巴里の空の下セーヌは流れる」(1951)も同様の群像劇であることを思い出した。
『パリを貫通するセーヌ河区域を中心舞台に、さまざまなパリジャンの織りなす人生図をエピソード風に綴った作品である。そのエピソードは個々に独立した形式をとらず、各々の時間的継起に従って撚り合わされ、全体でパリの二十四時間を描く仕組みになっている。その点これは、パリそのものを主人公としたユナニミスム(合一主義)映画とも言い得るであろう。』
F瓜代性
同時代を生きるとはどういうことなのか。
自分が生きる街・人々と関わり合うこと。
ただすれ違うだけでなく、一瞬、ひと時でも関わり合う事。
セドリック・クラピッシュ監督は主役のロマン・デュリスに黒澤明の「生きる」を観るように薦めたという。死を覚悟した目に映る街も人も美しい。
ぅ▲瓮螢的感性とフランス的感性
アメリカ人のポールアンカがシナトラの為にシャンソンの「いつも通り」を書き換えて「MY WAY」にしたが。
歌は全く違ったものになってしまった。それは感性の差による。
『いつも通り" Comme D'habitude "
" Je me leve, je te bouscule "
(朝、目が覚めて、君を起こそうと揺する)
" Tu ne te reveiles pas, comme d'habitude "
(でも、いつものように、君は起きては来ない)
" Sur toi, je remonte le drap "
(君の上にボクはシーツをかけ直してあげる)
" J'ai peur que tu aies froid, comme d'habitude "
(いつものように、君が風邪でもひかないかと心配しながら)
" La main caresse tes cheveux "
(ボクはふと手で君の髪を撫でる)
" Presque malgre moi, comme d'habitude "
(いつものように、無意識のうちに)
" Mais toi, tu me tournes dos, comme d'habitude "
(でも君は、いつものように、寝返りを打ってボクに背中を向けてしまう)
" Et puis, je m'habille tres vite "
(それから、素早く着替えて)
" Je sors de la chambre, comme d'habitude "
(いつものように、ボクは部屋から出ていく)
" Tout seul, je bois mon cafe "
(一人きりで、コーヒーを飲む)
" Je suis en retard, comme d'habitude "
(いつものように、また遅刻だ)
" Sans bruit, je quitte la maison "
(バタンと大きな音を立てないように扉を閉めて、ボクは家を離れる)
" Tout est gris dehors, comme d'habitude "
(外は、いつものようにドンヨリと曇っている)
" J'ai froid, je me leve mon col, comme d'habitude "
(今日も寒いなぁ。いつものように、ボクはコートの襟を立てる)
" Comme d'habitude, toute la journee "
(いつものように、日中は)
" Je vais jouer a faire semblant "
(猫をかぶって過ごすだろうな)
" Comme d'habitude, je vais sourire "
(いつものように、笑顔を作り)
" Comme d'habitude, je vais meme rire "
(いつものように、作り笑いを浮かべ)
" Comme d'habitude, enfin je vais vivre "
(結局、いつものように、一日を過ごすんだろうな)
" Oui, comme d'habitude "
(そう、いつものように)
" Et puis, le jour s'en ira "
(それから、一日が終わり)
" Moi, je reviendrai, comme d'habitude "
(いつものように、ボクは家へと帰ってくるんだろうな)
" Et toi, tu seras sortie "
(そして君は、外出しており)
" Pas encore rentree, comme d'habitude "
(いつものように、まだ帰ってきてはいないだろう)
" Tout seul, j'irai me coucher "
(たった一人、寝室へと向かい)
" Dans le second lit froid, comme d'habitude "
(いつものように、冷え切ったベッドに潜り込むんだろう)
" Mais la, je les cacherai, comme d'habitude "
(いつものように、今日一日の出来事を口にすることもなく)
" Mais comme d'habitude, meme la nuit "
(でも、夜でさえ、いつものように)
" Je vais jouer a faire semblant "
(また猫をかぶって過ごすんだろうな)
" Comme d'habitude, tu rentreras "
(いつものように、君が帰ってきて)
" Oui comme d'habitude, tu me souriras "
(そう、いつものように、君がボクに微笑みかけ)
" Comme d'habitude, on s'embrassera "
(いつものように、抱き合うんだろうな)
" Comme d'habitude "
(いつものように)
" Comme d'habitude, on fera semblant "
(いつものように、振りをしながら)
" Oui comme d'habitude, enfin a l'amour "
(そう、いつものように、最後は愛し合って)
" Comme d'habitude, on s'embrassera "
(いつものように、抱き合うんだろうな)
" Comme d'habitude " 』
(いつものように)
これがポールアンカの手に掛かりシナトラに渡された「MY WAY」は以下の通りである。
『" My Way "
作詞:ポール・アンカ
・作曲:J・ルボー、C・フランソワ
歌:フランク・シナトラ
" And now, the end is near, "
(そして今、最後の時が近づき)
" And so I face the final curtain "
(人生の幕を私は迎えようとしている)
" My friend, I'll say it clear, "
(はっきりと胸を張ってそう呼べる友人たち)
" I'll state my case of which I'm certain "
(自分の意見だってはっきり言えるくらいだ)
" I've lived a life that's full "
(この波乱に満ちた人生を私は生き抜いた)
" I've troubled each and every highway "
(あちこちのハイウェイで、よくもめ事も起こしたものだ)
" And more much more than this, I did it my way "
(だけど、それ以上に、私は自分の思うように生きてきた)
" Regrets, I've had a few "
(後悔、そんなものはほとんどない)
" But then again too few to mention "
(だが、取り立てて言うほどの人生を送ったわけでもない)
" I did what I had to do "
(やらなきゃならないことを私はやって来た)
" And saw it through without exemption "
(一つの例外もなくやり通してきた)
" I planned each charted caurse "
(人生の設計を計画立てて)
" Each careful step along the byway "
(たまにそれる脇道も注意深く進むようにしてきた)
" And more much more than this, I did it my way "
(だけど、それ以上に、私は自分の思うように生きてきた)
" Yes, there were time, I'm sure you knew "
" When I bit off more than I could chew "
(それは確かに、手に余るようなことに関わったこともあったが)
" But through it all, when there was doubt "
" I ate it up and spat it out "
(でもその全てを通して、納得がいかなければ
議論に熱中もしたし暴言まで吐いたことだってあった)
" I faced it all, and I stood tall "
(堂々と胸を張って、全てに正面から立ち向かい)
" And did it my way "
(私は自分を貫き通してきたんだ)
" I've loved, I've laughed and cried "
(人を愛し、大声を上げて笑い、あるいは泣き叫んだこともあった)
" I've had my fill, my share of blue jeans "
(大食いもしたし、作業着に身をくるんで働いたりもした)
" And now, as tears subside "
(だが今は、涙も枯れはて)
" I find it all so amusing "
(人生に起きた全てが面白く思えてきた)
" To think I did all that "
(私がその全てを経験してきたんだと考えることが)
" And may I say not in a shy way "
(そして、それを臆面もなく言えることが)
" Oh no ! Oh no, not me, I did my way "
(そうだ!私ならはっきり言える、私は自分を貫き通してきたんだと)
" For what is a man, what has he got "
(一人の人間であるためには、人は何を手に入れるのだろう?)
" If not himself, then he has not "
" To say the things he truely feels "
(もしそれが自分自身でないのなら、
本当に感じたことを口にすることさえ禁じられてしまう)
" And not the words of one who kneels "
(目の前でひざまいている人の言葉を信用することさえも)
" The record shows I took the blows "
(だが、今までの記録が示す通り、私はそんなものは振り払い)
" And did it my way "
(私は自分を貫き通してきたんだと胸を張って言えるんだ)』
(以上の歌詞は〜フランスの歌をあなたに〜から転載しました。)
「my way」に拘り闘う感性と目の前の人といつも通り愛し合う感性。
どちらを選ぶかは自分次第、あなた次第だ。
ゥリスマスの夜
クリスマスの夜、一人で「PARIS」を見ていた若い女性たちに、良い年の瀬と新年が訪れる様にお祈りしましょう。
【データ】
公開中映画館
名演小劇場
映画「PARIS」公式サイト
映画「PARIS」ブログ
此処には、監督のインタビュー記事が掲載されている。
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